三重県伊勢地方の地震と津波について~あなたはどうする?~  進めるだけ進む個別指導学習塾、三重県伊勢市御薗町の総合学習塾「勢進塾」

先日9月1日は防災の日でした。大正12年に発生した関東大震災にちなんで制定されたものですが、むしろ記憶に新しいのは2011.3.11に起こった東日本大震災ですね。多くの方が、地震というよりも津波で亡くなられました。あれから丁度6年半経ちます。それほど遠くない将来、この伊勢地方でも東南海地震(南海トラフ地震)の影響を受けると予想されています。この地震の予想最大震度は7、最大津波高さは27m、高さ1mの津波の到達時間は4分とされています。塾長は関東に12年住んでいましたので、震度3や4程度の地震は頻繁に経験していますので、多少の地震には慣れてしまっています。しかし、日頃地震になれていない地元の皆さん、特に子供達は震度1や2程度で大騒ぎですよね。三重県では地震・津波は無関係、伊勢神宮があるので大丈夫と、訳の分からない持論をおっしゃるお年寄りもおられます。ところが、普段はあまり起こっていない地震でも、巨大地震は定期的に起こっているのです。伊勢市のホームページには古文書等による過去の津波の記録が公開されていますので、少し紹介します。

  1. 1498年(明応7年)の明応地震:推定マグニチュード8.2~8.4、伊勢を襲った津波の高さは6~10m。現在の御薗町長屋まで入り込み、1,000軒余りの家屋が流失、5000人余りが死亡。
  2. 1707年(宝永4年)の宝永地震:推定マグニチュード8.4、伊勢市大湊を襲った津波の高さは6~8m。
  3. 1854年(安政元年)の安政東海地震:推定マグニチュード8.4、大湊で8~10m二見でも約5mの津波を記録。
  4. 1944年(昭和19年)の昭和東南海地震:マグニチュード7.9の海溝型巨大地震で、100年~150年おきに発生している東南海地震の1つです。当時の宇治山田市内は、一部が震度6の激しい揺れに襲われたと推定されており、大湊では、地震発生から約20分後に、約2mの津波が押し寄せ、市内全体で150棟を超える家屋が流失しています。
これらの記録を見ると100~150年のスパンで巨大地震に見舞われています。昭和19年の昭和東南海地震は、戦時中であったために軍部による情報統制が行われ、地元の人でなければこの時期に大きな地震があったことさえ知らない人が多いとされています。これらの記録を見ても、今後30年以内に大きな地震があることは間違いなさそうですね。伊勢市の大湊地区では毎回8m前後の津波が到来しています。明応地震では、当塾のある御薗町長屋地区にまで津波が来ていますので、日頃から津波が来ることを想定し、命を守る行動を心掛けなくてはなりません。ちなみに当塾のある場所の海抜は塾前の電柱に記載されており3.9mです。伊勢市の津波ハザードマップ(平成25年3月)によれば、塾周辺の津波浸水予測は2.0~3.0m、およそ60分程度で津波が到達すると予測されています。周辺の緊急避難場所は御園小学校、上長屋公民館、厚生中学校、高向公民館、御薗第二保育園(いずれも安全度ランク★★)です。宮川方面よりもむしろ勢田川方面のほうが深い浸水域になっていますので、高向(宮川堤)方面に避難した方が良さそうです。いずれにせよ自然現象ですから、想定外のことが起こって当たり前、皆さん自分の命は自分で守りましょう。